SHIBUYA KENTEI渋谷検定 過去問題集

Questions from the past SHIBUYA KENTEI.
渋谷検定過去問題 07

第1問

2011(H23)年春に、リニューアルオープンした宮下公園は、都内でも珍しい空中公園として異彩を放っています。この公園は1930年頃の東京都市計画に基づく公園という古い歴史をもっています。さて、公園ができる前からこの地域一帯は宮下と呼ばれていましたが、その由来はなんでしょうか。

①梨本宮邸が近くにあったから
②明治神宮から下ってくる位置にあったから
③土地を所有していた大地主の名字が宮下だったから
○正解を確認(正解が赤くなります)

*第3回渋谷検定出題

第2問

渋谷には、かつて多くの小川が流れていましたが、1964(S39)年東京オリンピック開催の際に殆ど暗渠(川に蓋をする)になってしまいました。「春の小川」のモデルとなった河骨川(こうほね川)は宇田川と合流し宮下公園の端で渋谷川に流れ込んでいますが全部暗渠です。
現在の暗渠の下は、その殆んどが下水道として利用されています。
それでは、「春の小川はさらさら流る」(高野辰之作詞)と歌われた河骨川の名前の由来はなんでしょうか。

①流れる河筋が骨のように見えた
②川の中にコウホネという名の水生植物が群生していた
③骨のような透き通った水がさらさらと流れていた
○正解を確認(正解が赤くなります)

*第3回渋谷検定出題

第3問

渋谷川の開渠部分は渋谷駅の南、稲荷橋から港区との区境天現寺橋までの2.6kmを流れる二級河川です。さて、どこから流れて来て、どこに流れていくのでしょうか。

①主たる源流は新宿御苑からはじまり芝公園付近を経て東京湾へ
②主たる源流は井の頭池からはじまり隅田川に合流して東京湾へ
③主たる源流は三宿東仲橋付近にはじまり天王洲付近で東京湾へ
○正解を確認(正解が赤くなります)

*第3回渋谷検定出題

第4問

「温故学会会館」この建物は、関東大震災後に建てたため堅牢、重厚ですが、昭和初期の風格ある美しい、鉄筋コンクリート2階建てです。江戸時代の盲目の学者、塙保己一が長い時間をかけて編纂した「群書類従」の版木1万7千244枚(国の重要文化財)本は666冊が保管されています。その行跡を研究し広めるため著名人、財界人の協賛で建てられました。この会館に米国の女性が来館しています。さて誰でしょう。

①ヘレン・ケラー ②マーガレット・ミッチェル ③エレノア・ルーズベルト
○正解を確認(正解が赤くなります)

*第3回渋谷検定出題

第5問

渋谷は、ここに住み、又そこを訪ねてくる文学者が街を行き交い、彼らが書いた文章が多くあります。中でも、田山花袋が、国木田独歩を訪ねる道すがらの風景を描いた短編「丘の上の野」は、明治30年頃の渋谷の風景が活き活きと表現されています。それでは、当時、国木田独歩は渋谷のどこに居を構えていたのでしょうか。

①松濤周辺
②現在の国学院大学周辺
③現在のNHK放送センター周辺
○正解を確認(正解が赤くなります)

*第3回渋谷検定出題

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